選挙の季節


やるべきことがあるひとがいて。

やるべきことがあるならそれをできるひとがどんどん進めなければ、なにごとも「良く」ならない。当たり前だ。だから、当たり前のことを当たり前にできるように、当たり前でない手段だろうがなんだろうが、コネでもカネでもなんでも使ってそれを支えるということが必要になる。

そういうことを「政治」というのだと僕は思っている。

「政治」をするひととは、キレイゴトでは済まないことをするヒトタチである。キレイゴトで済むなら「政治」なんていらない。

だから、政治をするひとはエラいのである。
エラいひとが政治をするのではない。

ひとのいやがるような、ヨゴレなシゴトをしてくださる方々だから「エライなあ」と思うわけだ。

それはいわいる公共という意味での政治家だけではなく、企業の管理職であったり、経営者であったりもするだろう。

いいトシこいてくると、集団の中でシゴトをするのに、政治が必要になってくることは少なからずある。

選挙に立候補なんかしなくても、自分の意図とは関係なく、「政治」に関わっていたりする。

世の中、「この世界を悪くしてやろう」と思っているひとより、「よかれと思って」いる人のほうが圧倒的に多く、困るのは「よかれと思って」よくないことをするヒトがほぼこの世界を覆い尽くしていることなのだ。それはワタシのように。

選挙のトキになると、なんだかヒステリックに投票を呼びかける人々、特に文化を担う自称表現者の方に多いように思える昨今であるが、こちとら普段のんべんだ らりと生きていても「政治」にまみれているってえのに、なんでそんなに盛り上がっちゃってんだろう、とチンピラなワタシは不思議に思ったりする。ワタシの ようなド庶民とは違うのかもしれない。

「選挙」というのは「多数決」であり、「民主主義」とイコールではない。多数決は民主主義かもしれないけど、民主主義は多数決ではない。民主主義って国民が主権者であると言っているのに対して、多数決というのはケツのとり方のハナシだもんね。

多数決を推進するというのは、多数意見の尊重ということで、それはつまり場合によっては多様性の否定になりうることだ。

なにがしか文化的な表現をするひとにとってそれは自殺行為になる可能性もあることだと思うのだけれども、そのへんは気にならないのならそれはまあ別におめでとうございますとしか。

もちろん、投票するべき、胸をはって投票するべき、喜んで投票するべきひとがいるのであれば、それがたとえカルト宗教の教祖であろうが、幸せなことであり、勇んで投票すればいい。

投票しないと、例えばカルト宗教が組織票で政権をとって、その信者だけに都合の良い政治をしてしまう!なんてハナシをよくきくけれど。

黒人が大統領の国で黒人だけに有利な政治がされたとか、女性が国家元首の国で女性だけに利益のある政治がされたというハナシは、世間知らずの僕は寡聞にしてきいた記憶がない。

どんなヤツだって、自分が選んでないにしたって、代表者になったヤツは代表者として、そのヒトの属性以外のひとも含めたみんなのためにがんばってもらうべきだし、そうしていないならみんなで「コラッ」ていうべきことだ。それは投票したかどうかとはあんまり関係ないと思う。

「投票しないヤツは意見をいう資格がない」みたいなハナシもよく聞くけど、それって「おらが村から出た候補はおらが村の利益だけを考えるべきだんべ」みたいな、未開の感性にとても近いように思うのだけれども、まあそれがこのクニの文化らしいので、それはそれでいいのか、と少数意見なワタシは思うのであった。

いま僕が住んでいる地域は、引っ越して18年ぐらいだったように思うけど、とにかく選挙カーが走ってない地域だなーと不思議に思っていた。

今回の選挙ではずいぶん賑やかに選挙カーが走り回っている。

「選挙カーは使わないぞ!」と主張されて過去2回落選された候補の方のお名前も、今回は賑やかにウグイス嬢が連呼している。

どうやらのんきな田舎も選挙の季節のようだ。


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