冥福をいのりいのられ


子どもの頃にテレビ番組やら映画やらでご活躍された方々がここのところ相次いで亡くなられるということが多い。それは自分が中年も半ばを過ぎて、子どもの頃におとなだったひとたちがそれぞれのお役目に一区切りをつける算段をおつけになったということなのであろう。こちらとしては「お疲れ様でした」の一言につきるわけだけれども。

で、まあそういう有名人が亡くなると、もちろんそういうおとなの皆様に楽しい思いをさせていただいたこちらとしては大変残念な気持ちになるのはいたしかたのないことであり、おもわずその残念な気持ちを SNS とかに表明したくなってしまうのがまた今っぽかったりする。

ご冥福を、おいのりします。

そういえば、ご冥福ってなに?

なんだかしらないが、ご冥福とか言うのはいかがなものか、と、おっしゃっているお坊さんの方々もよく見かける。

冥福とは、冥界、つまり死者が死後赴く世界での幸福のことだそうだ。冥界、冥府というのはどういうところを想定しているのかよくしらないけれど、「冥」という字はあまりポジティブな意味合いではないようでもある。

そして、浄土系の仏教では、どんなひとでも死んだら阿弥陀如来の他力本願によって極楽浄土へ導かれるのであって、冥福などとんでもない、ということみたいだ。

キリスト教でも教派によっては死んだらどんなひとでも天国へ行くのだ、というのもあるんだそうで、「冥」てのがどっちかというと薄暗い、あまり極楽やら天国やらとはちょい違うかもね、というものだったりするようで、そういうところでの福をいのられてもなあ、ということらしい。

じゃあ亡くなった方はどういう教派宗派だったかということにあわせて哀悼の意を表さないといけなのかな?しかしだな、こちとら別に告別式に行くわけでもなし、なんでそこまでしなきゃなんねーんだよ。というか、そもそもそのひとがどういう信仰なヒトだったかなんて知らないよ。

そもそも、死んだひとが自分の信仰と違う様式でいのられたからっていちいち怒るなんてことがあるだろうか。特に日本人は自分というよりは自分の家がどういう宗派だったかなんてロクに知らないヒトだっているだろう。ていうか、そもそも死んでから怒るなどという器用なことのできるイキモノがいるもんか。死んでしまったらそれまでだ。

死者にいのるという行為は、残された生者の側が、死者と2度と会えなくなってしまった不条理を紛らわすため、やがていつかそのことを受け入れるために行う儀式である。と、少なくとも僕は理解している。

だとすると、なるほど、つまり、冥福をいのろうがいのらなかろうが、それはいのるひとの心の問題であり、誰かにとやかく言われるスジアイなどないではないか。

と、ここまで考えて、自分だけでなくひとの振る舞いについても注文をつけねばならぬ信仰のひともいらっしゃるのかもしれない。

なるほど、それはお疲れ様なことである。

というわけで、ぼくは「お疲れ様でした」の一言に尽きるわけである。



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