www.matchy.net http://www.matchy.net Most recent posts at www.matchy.net posterous.com Fri, 02 Mar 2012 14:31:00 -0800 卒業式と服装のハナシ http://www.matchy.net/107193019 http://www.matchy.net/107193019

聞くところによると、最近高校の卒業式で女子は袴を来たりするんだそうだ。先日長野駅前でそういう女の子をみかけて、アレ?いまでもまだこんなの着るんだ?みたいなみょうな違和感があった。いまでもどころか高校生ではここ数年で流行っているそうな...。

小学校の卒業式は、おいらの頃なんぞは中学の制服を着るのが当然であったのだれけども、最近は毎年父兄がもめるらしい。

曰く、「学生服は中学で着るものであり、小学生のうちに着るものではない」

なるほど一理あるようにも思う。では何を着ていくのかというと、そのためだけにスーツやらを新調するらしい。アホくさ。

「学生服は中学で着るものであり、小学生のうちに着るものではないというのなら、小学校で使ってたジャージ着てきゃいいんじゃんねえの?」と言ってやる。

デーモン閣下が大学を卒業するとき、本来の悪魔の姿で出席しようとして、警備員と悶着あったそうだ。なぜその姿で出ようとしたかというと、すべての卒業生は明日から社会に出る格好で出席しているのであって、自分もこの姿で社会に出るのだと。かっこいい。

そんなこんなで卒業シーズンですね。保護してくれるものが少しずつゆるくなっていくことでもあるわけで、自分が次どうやって生きていくのか、ということなのかもしれません。

と、「卒業」からは縁遠くなったオッサンに言われるスジアイねぇか...

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Mon, 23 Jan 2012 05:55:00 -0800 食べログ騒動に思う、ありがとうと言うハナシ http://www.matchy.net/95684702 http://www.matchy.net/95684702

食べログサクラ騒動

昨年のお正月にはグルーポンのスカスカおせち騒動というのがあったが、今年は食べログでの悪質なやらせ騒動からはじまった。もう1月も終わろうというのに今更その話題かよと言われるかもしれないが。

カカクコム社によるプレスリリース

これは不正が発覚したので厳正に対処するというハナシである。これを言ったら身も蓋もないかもしれないが、そもそもメディアを使ったプロモーションをするときにはサクラはつきものである。

サクラというのは、春に花見で桜を見るのはタダだというのが語源で、芝居等をタダで見る代わりに、要所要所で掛け声をかけたりして場を盛り上げる役をやるお客のことである。これはある意味最近流行りのフリーミアムの昔からある1つのカタチといえないことはないし、Twitter 割引なんてのも割り引いてもらった代わりに思わず Twitter で宣伝してあげたくなっちゃうわけで、同じようなことである。

そういう理想的・自発的サクラだけでなく、客席にあらかじめ「仕込み」の客がいることで、演し物を円滑にすすめるためにお客を演じるというケースも多々ある。特にマジックショーではよくあることだろう。

つまり、サクラというのは必ずしも悪いものではない。

今回のカカクコム社が発表したのは、これらとは違って明白に悪質な行為を行なっている業者を発見したので、その行動開始が早かったのか遅かったのかは僕の知る由もないが、正しい方向に進むことを宣言されたわけで、褒められこそすれ貶すようなことではないと思う。

どういうわけか、イマドキはそういう正しい人に対しても、ネガティブなことがあったら周りで指をさして晒し上げるような風潮があるようで心が寒くなるばかりであるが。

2度と行かねぇ!

飲食店というのはほんと大変だよなーと思う。正直僕のような小心者がやるのはムリだろうなと思うばかりであるが。

よく、「あのお店には2度と行かない!」なんて会話をきいたり、ついついしてしまったりする。

飲食店の場合は、どれだけ料理やサービスに気を使っても、たまたま隣に座ったお客の態度が悪くていやな思いをしたとかであっても、充分に悪い印象を残すことになるわけで、「2度と行かねぇ!」とまでは言わなくても、自然と足が遠のいてしまったりする。お店側にはなんの問題はなくともだ。

新規にオープンしたお店なんかに行くと、ふんふん、このお店の味はあたしの好みじゃないわよねなんつって、「うーん、早速行ってみたけどあたしの好みじゃなかったわ」などとしたり顔で言いたくなってしまいがちだが (なぜオネェ言葉w)、新しいお店はもちろん方向性にブレが出るのは当然なわけで、仮に開店初日に行ってみて好みでなかったなーと思っても、3ヶ月ぐらいしてもう1度行ってみると随分印象が変わっていたりする。

そして、何度も通っているうちに、そのお店が目指している味の方向性や、お店の方々の人柄というかキャラクター的なこともわかってきて、とても居心地の良いお店になるということもある。たいてい「おなじみの店」というのは、そうやって自分がそこに慣れていくことが多いのではないかと僕は思うのだが。

サービスは受けるほうがえらい?

よくわからないけれども、お金を払うひとはお金を受け取るひとよりエラそうにしていることが多いような気がする。それがお客様本位なのか、おもてなしの心なのか、僕にはよくわからないのだけれども。

最近はネットを中心にフリーなサービスというものが多く出てきているわけで、それこそ上記食べログだって基本は無料で提供されているサービスである。それを利用していて、「おい食べログもっとしっかりしろよ」みたいな感じになってしまっているのは不思議なことだ。

そもそも、お金を受け取るほうも、それと等価な、いや場合によってはそれ以上の品物、食物、サービスを提供しているのであって、立場はまったく同等なのである。自分はお客サマなんだから、サービス提供者より目上であるなどということはないと思うのだけれども。

ありがとう

お店でなにか買ったり食べたりして、お金を払うと、お店のひとは「ありがとうございました」と僕に言う。その時、僕もお店のひとに「ありがとうございました」「ごちそうさまでした」というようにしている。

これ、たまに出張で行く都心のお店ではそんなことないけれども、地元長野県の飲食店 (特にチェーン店やフランチャイズのお店) やコンビニなんかだと、面食らったり戸惑った顔をされる店員さんがとても多くて楽しい。たぶん、めったにそんなこと言われなかったり、ご自分もお客になったときにはそんなことをおっしゃっていないのではないだろうか。

自分はお金を払っているけれども、どちらかというとカネで解決した卑しい立場で、対価としてサービスを提供している人のほうが気高いのかもしれない。いや、それは極端だけれども、サービスを受けている方がエラいなんてことはないと僕は思うのだけれども。

そんなわけで、確かに悪質なやらせとかよくないし、高い評価づけの話題のお店を選択するのもいいけれども、いつものお店で「ありがとう」って言ってみたら、なにか変わるかもしれないよと。生意気なことを思ってみるのであった。

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Sun, 15 Jan 2012 08:56:00 -0800 1月も半ばを過ぎて http://www.matchy.net/1 http://www.matchy.net/1

早いもんで2012年明けてもう半月たっちゃいましたけどね。

昨年はやっぱなんだかんだ言って震災とか原発とか自分にとっていろいろショックだったみたい。それから、やはしスティーブ・ジョブズとか、立川談志とか、リスペクトしていたりそこまででなくてもなんらかの影響を受けていたひとが次々亡くなったというのもショックだった。まあ今年40歳なんで、そういう歳周りというか、自分がトシをとったということなのだろうけれども。

そういう意味で、rei harakami さんが亡くなったのはかなりショックだった。彼が創る音楽のファンだったけれども、昨年前半ではいろいろなメディアに登場されて、しゃべりとか含めて彼のキャラクターもとても面白いのだなあと思っていた矢先だったし。年齢も僕よりまだ1つ上だったし。

というわけで、なんだかいろんなことにやる気を失ってしまっていた1年間だったように思う。

特に、その少し前まで、ソーシャルネットワーク的なことを利用して、人との交流的なことをすることにちょっと力を入れていたのだけれども、それもイヤになったというか、あまり良い効果は出なかったなあというのが自分なりの結論であったりする。

というわけで、今年は内側にこもって、自分としていろいろなことに成果物をちゃんと出していくようにしたいなと思うのあった。世の中的なところも、多分そういう方行に今後数年間は進んでいくのではないかなと思ったりするのであった。

....うん、と言いつつ、なにも出ないまま既に半月たってしまったという現実(汗。

えーと、がんばろ...

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Fri, 09 Sep 2011 08:12:00 -0700 死なないために生きている http://www.matchy.net/69296280 http://www.matchy.net/69296280
9月10日は自殺予防デーだそうだ。
人口10万人あたりの自殺者数ランキングで日本は5位なんだそうで、警察庁の資料によると平成22年の自殺者数は 31,690 人。

同じく警察庁が今年9月8日に発表した資料によると、東日本大震災での現時点で確認されている亡くなった方の数が 15,776 人。行方不明の方が 4,225 人。足してはイカン気がするけど(汗)、えいやと足してしまっても 20,001 人。昨年自殺した人のほうがまだ 10,000 人以上も多いことになるわけで、これはただごとではない事態である。

あまり明るいハナシではなくて恐縮だけれども、じゃあなぜ死んではイカンのかということについて、僕なりの解釈の話をしてみたい。

「人が死んだらどうなるのか」というのは、人類の大きな命題である。なんてことをよくきくし、死について真剣に考えるのは良いことだなんて話をよく聞くのだけれども。

簡単なことだ。人が死んだら死骸になるのである。

人の意識は脳を中心とした肉体の化学反応によって生まれる。らしい。大脳生理学だかなんだかで、そういう。らしい。良く知らないが。だとしたら、肉体がなければそもそも意識などというものは存在しないのであり、肉体と意識は不可分だ。

仮に、意識というものが肉体とは別に存在するとしてみよう。

人の意識をソフトウェア、肉体をハードウェアとして例えてみる。
ハードウェアが動作不能にまで壊れたとしても、ソフトウェアを別のハードウェアにコピーすればまだ動くかもしれない。
しかし、そのソフトはそのハード専用のものであり、他のハードでは動かない。この世界にまったく同じ人が2人以上いないからだ。
やはり、ハードが壊れればともにソフトも失われるのである。

日本人は他の国の人に比べて信仰心が薄いなどという。
でも、「人が死んだら霊になる」と漠然と信じているひとは驚くほど多い。

「霊」とはなんなのか。たぶん、液体のようなものなのではないか。
容器である肉体が壊れてしまったら、それは流れだし、やがて蒸発して、雲の1部になる。

その集合体の雲を、日本では「ご先祖様」と呼んでいたのではなかったろうか。
その証拠に、江戸時代の浮世絵に描かれる「幽霊」はみんな同じような顔をしているではないか。
かつて「ご先祖」や「幽霊」とは、特定の誰かを示す言葉ではなかったのではないだろうか。
もしそうなら、日本の祖霊信仰はクラウド指向だったのである (ドヤ顔)。

メガネをかければメガネをかけた感触がある。はずせばなくなる。あるものがなくなれば、それはなくなる。
個人が個人でいられるのは、生きてその肉体があるときだけだ。

死んだあとには残るのは死骸だけである。

死骸は物体であり、ごみである。しかもかなり醜い。
なにかの物語で「きれいな顔してるだろ?死んでるんだぜ」などというセリフがあったが、どんな生物であっても残念ながら死骸はやはり醜いのだ。
冷凍したり血抜きしたりしない限りどんどん腐敗していく困った物体である。

話しは変わるが、アラフォーの中年男性ともなると、なかなか清潔でいるのは難しくなってくる。
自分の好むと好まざるにかかわらず、ちょっと油断するとあっさり不潔なオッサンのできあがりである。

というわけで、自分は生きているのにもかかわらず、なかなか困った肉体を持て余している。

もし、僕が死んでしまったら。

自分の、さらに醜くなった死骸を誰かの目に晒し、あろうことか自分でない誰かにそれを片づけてもらわなければならない。

おぞましいことである。
自分の大事な家族や友人にそんなことを託すなんて冗談じゃない。
そんなことは死んでもいやだ。いや、死んでからそうなるのか...。

死んだ後に何かがあるわけではない。何もない。そこにはただただ醜い死骸が残るだけだ。
だから、死んではいけないのだ。

仏教のお坊さんは「生に執着してはいけない」と言うかもしれない。
しかし、死んだあとには何もない。少なくとも自分という個人ではなくなるのである。
仏教文化の中でもいろいろと物語は作られているが、仏教のおおもとであるインド哲学は死んだら輪廻転生して別の存在になるのであって、やはり現在の自分個人ではいられないのである。

希望も絶望もまったく関係ない。自分の気持ちがわかってくれる人がいるかどうかすら関係ない。
生きていたいか、死にたいかすら関係ない。
死んだあとの自分の醜い死骸を自分自身で始末できない以上、生きている限りは生きてい続けなければならない。

だから、死んじゃいけないんだ。

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Thu, 08 Sep 2011 09:26:00 -0700 とくに、なにもなかった http://www.matchy.net/69115644 http://www.matchy.net/69115644

ザ・インタビューズというサイトがあって、ソーシャル界隈でなんかはやってるので、試しに答えてみた。このへん。 なんか、真面目に書きすぎた。読んだヒトどんビキみたいな感じだ。でも、どうやらそういうサービスみたいなのでそれはそれでいいのかもしれない。

特にこのインタビューに答えてみて、思うところがあった→「どんな学生時代でしたか?思い出話などを聞かせてください

自分自身は、中学生時代が無茶苦茶楽しかったと思っていた。しかし、昨年久々に開かれた同級会に行ってみたら、なにが楽しかったのかほとんど覚えていなかった。それどころか、そこにいるかつての同級生達を、実はほとんど思い出せなかった。

相手は僕のことを覚えているのに、僕は相手の名前も思い出せない。自分が覚えていない僕のことを相手は知っているというのに。恐ろしいことだと思った。

数年前まで、一緒に仕事をしたひとに「町田さんってものすごい記憶力ですね」と何度か、何人かに言われたことがある。でもそれは本当はウソで、僕自身はなるべく「覚えない」ようにしていた。そのかわり、「思い出すきっかけになるもの」と、調べればわかるものは「調べ方」だけ覚えておくことにした。こうすることで、1つ1つの記憶は正確ではないけれども、多くのことを思い出すことができた。たぶんこれはプログラミングを仕事にしていたのと、それに加えて中間管理職だったからだと今にしてみれば思う。

つまり、本当は「ものすごく忘れる」ようにしていたのである。

最近、なんとなくそのたがが外れてしまって、ほとんどのことを忘れてしまったままになっていてちょっと困っていたりする(汗)。ひとには言えない年齢のときから喫っていたタバコを1年半前にぱったりとやめたことも少なからず影響しているのかもしれない。

そんなときに、上述の同級会の体験をしておどろいた。本当に思い出らしきものもあまりないようだ。

でも、思い出したいと思うことも特にない。「忘れようとしても思い出せない」というバカボンパパのセリフそのままで、なんだか自分で呆れたけれども。

なんかいいトシになってきて、中年となった最近、当然のことながら若いときより体力ないし、上述のようにどうもアタマの調子も悪いし、怪我や病気をするとすぐ重くなるし、あちゃー、なんか、もう無限に生きてるわけじゃないんだなと。明日死ぬかもしれないし、40年先かもしれない。でもそれは自分が子供の頃と何も条件は変わっていない。でも、子供の頃よりある程度実感が出てきた。

つまり、思い出もなければ先もない。過去も未来もない。と、思ったら、なんかすげー楽な気分になった。

「今」をちゃんとしとけばいいんだなぁと。

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Fri, 05 Aug 2011 06:35:00 -0700 一連の韓流批判で特に気に食わないこと http://www.matchy.net/64029321 http://www.matchy.net/64029321

例の一連の騒動で、いちばん理解できないのがこのBlog記事。

【事実に基づく真相 : 高岡蒼甫 本人ブログ】
http://blog.livedoor.jp/tkok_sosk_8228/archives/52293253.html

鬱だったとか自傷行為経験があるとか、それはそれは大変だっただろうけど、それとこれとどういう関係があるんだっつーこと。

病気することは大変だし、治ったのならそれは素晴らしいことだけど、だからってそれがなにかの言い訳になるわけじゃないだろう?

「実は僕は鬱でした」なんて公言するひとが少なからずいるけれど、なにかそれは特別なことだとでも言うのだろうか?そういう言動をとることで、今まさにその病気を治そうとしている人たちが色眼鏡で見られてしまうことにいい加減気がつくべきじゃないだろうか。

特別な病気じゃない。「ビタミンが不足したら風邪をひいた。いちど風邪ひいたら風邪ひきやすい体質になっちゃった」ってこととなにも違わないぞ。

違わないのだから、今、その病気であることも何も問題はないんだ。ただの病気なんだから、治せばいいんだよ。

風邪と同じで、またなってしまうかもしれないけど、また治せばいいんだしね。

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Tue, 02 Aug 2011 08:51:00 -0700 仕事について http://www.matchy.net/63572531 http://www.matchy.net/63572531

例えば◯☓式のアンケートをぽんと渡されて、机の引き出しからペンを取り出してそれにささっと答えて返す。当たり前だけれど、机の引き出しにペンを用意しておく必要があるし、アンケートに答えられる知識なり経験なり見識を持っていなければならない。そして、多くのひとはそのアンケートの設問をつくることができないので、自分が答えるべき設問から自分が考えなければならない。

いつも同じ設問と回答で済む場合もあるし、そうでない場合もある。そのためには、当たり前にできることを増やさなければならない。

仕事って、いやもしかして、「暮らしていく」ということは、そういうことなんじゃないかな?

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Wed, 03 Nov 2010 08:37:00 -0700 大人の言うことを信用しないお爺ちゃんのはなし http://www.matchy.net/32373697 http://www.matchy.net/32373697

先日、ある有名なジャーナリストの方がゲスト出演されたラジオ番組の Podcast を聴いた。当方があまりTVをみなくなったせいもあって久々にお声をお聴きしたのだけれども、まあなんというかずいぶんとお爺ちゃんになられたなぁという印象を持ってしまった。失礼。

で、こんなようなことをおっしゃられていた(要約)。

子供の頃、学校で「欧米は戦略戦争をしておる。悪いのはイギリス、フランス、アメリカであり、アジア諸国を開放し、護るために日本は戦争しているんだ」と教えられた。しかし終戦後、同じ先生が「今まで日本がしてきたことは侵略戦争だった。悪いことだった」と言い出した。

信頼できないというよりは、困惑した。それが原点である。

今でも新聞やTVの言っていることは正しいとは限らない。少しでも信頼できる情報に触れ、発信するために自分はジャーナリストを続けている。

とても素晴らしいことをおっしゃられているのだろうけど、なんか引っかかるものを感じた。もう結構なお爺ちゃんになられた方だけれども、今でも「大人の言うことは信用できない」と言っている子供のようだなあと。いや、それが良いのか悪いのかはよくわからないけれど。

別の話。「子供ができてはじめて親の気持ちがわかる」ということをよく言う。不肖ワタクシですらそう思うことあるし。

「若い頃は特に知らない人が困っていてもそれほど具体的にどうこうとは思わなかったが、人の親になってはじめて親身になることができた」という話もきく。本当なんだろうか?

「相手の気持ちになって考える」というのはとても大事なことだろう。しかし、相手と完全に同じ境遇でない以上、相手の気持ちを理解することは不可能なのも事実。それを踏まえた上で相手と接したり、必要ならば援助したりということも大事だと思う。「相手の気持ちはわからない」と思っている子供、「子供ができて人の痛みが云々」と言っている大人、どちらがその距離と近いのだろうか?いやこれは単純に疑問。

「親の気持ちがわかるようになった、親になった自分」が正しくて、「親の気持ちがわからない、親ではない子供」は正しくない、というのもよくわからないはなしである。

子供が親の気持ちをわからないのは当然だし、子供でなくなった親が子供の気持ちをわからなくなっているのかもしれないし。つまりは「相手の気持ち・立場を想像する」「相手に感情移入する」ということがお互いに大事なのではないかと思う。そのためには多くの物語に触れるというのが大事なことになるのではないかと思う。これは余録。

話を戻す。

「日本は正義の戦争をしている」と言っていた先生が「日本は悪いことをしていた」と、言うことが正反対に変わった。それで、困惑したと。まあ困惑はするだろうけれども、その話をきく子供は先生以外に親やその他の大人、そしてなにより世の中が大きく変わった瞬間を体感したのではないか。であれば、先生の言うことが変わったことに理由があること、先生の考えが変わり、それを表明しているのだということに気がつくのではないだろうか。もちろん、低年齢の子は理解するのは難しいかもしれないけれど、「なにか事情があったらしい」と察することはできるではないか。

結構なお爺ちゃんになってもまだ「大人の言うことは信用できない」と言っているように見えるその方は、とにかく間違ったことを言ってはいけない、発言に極単純な一貫性がないと許さない、そう言っているような、ちょっと怖いなぁという印象を持ってしまった。

情報を受け手が処理できない、だから間違った情報は流してはいけない、そんな、不寛容な世界はいやだなあと、薄気味悪く思ってしまった次第。あれ?い、いや、まだそんな社会になっては....??

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http://files.posterous.com/user_profile_pics/1020921/pico.jpg http://posterous.com/users/4aGe7y1kU8rn MACHIDA Hideki matchy MACHIDA Hideki
Fri, 28 May 2010 06:38:00 -0700 Plancastを使ってみよう http://www.matchy.net/plancast-17 http://www.matchy.net/plancast-17
Twitter発のリアルイベント (ツイオフ) を行うのはもはやあたりまえになってきた感がある。まあ某ドラマのような古めかしい出会い系オフ会は正直勘弁いただきたいところはあるが(苦笑。
そんなわけで、「こういうイベントやるから参加者募集ー!」とやるサイトもいくつかあるので、簡単に比較&ご紹介させていただく。

主に勉強会やセミナーの告知に使われているようである。
日本のサイトなのですべて日本語表示であり、特に戸惑うところもない。
また、これはTwitterありきのサービスではないので、Twitterアカウントのない人でも参加可能であり、こくちーずサイトにユーザー登録の必要がないので、参加希望者の心理的敷居もひくい。
イベントにコメントをつける機能はない。

英語サイト。
Twitter、Facebookいずれかのアカウントでログイン可能。
イベントに対するコメントをTwitterにクロスポストすることも可能 。ハッシュタグ連携あり。
イベントに参加可能なヒトは「Yes」、無理なヒトは「No」、参加できるかどうかわからないヒトは「Maybe」として参加態度の表明が可能。

英語サイト。
Twitter、Facebook、Google Buzzいずれかのアカウントでログイン可能。
イベントに対するコメントをTwitterやFacebookにクロスポストすることも可能 (Buzzは?)。ハッシュタグ連携あり。
イベントに参加可能なヒトは「Yes」、無理なヒトは「No」、参加できるかどうかわからないヒトは「Maybe」として参加態度の表明が可能。
こくちーずは元々が勉強会用のようなので?特定のサービスに依存していないのは良い。しかし、コメントをつける機能など、CGM的な部分は少々弱い感じ。

tweetviteとtwtviteは非常に似通っている。「Maybe」という、「まだどちらとも言えない」ひとでもとりあえずにぎやかしには参加できるし、コメント機能もあるのでツイオフには適していると思う。

しかし、ここにもう1つ似たようなサービスをご紹介しよう。その名も「Plancast」。これも上の3つのように、イベントの主催者が告知したり参加者を募ったりするのに使える。
しかし、Plancastの本髄はそこではない。
名前がPodcastに似ていることに気がつかれただろうか。このサービスはつまり、「自分の予定を公開する」ものなのである。
例えば「オレ○月○日、どこそこへ映画観にいくよー」とか、「○月○日、なんとかいうイベントにオレも参加するよー」という感じ。主催者でなくても一向に構わない。
そして、「おー、そんならオレも行くー」「行くかどうかわかんないけど人数にカウントしといてー」と「count me in」をクリックして参加態度を表明する。
あきらかに最初の3つより機能は少ないが、利用目的が違うのである。
これは当方の勝手な意見であるが、正直最近「ツイオフ」が多すぎて、少々嫌になってきたというのがある。
「○月○日に呑み会をしよう、幹事は誰それで参加者は何人だから、お店を予約して...」という会社の忘年会みたいのもたまには良いけど、あまり続くようだと「たかが Twitter なのに面倒臭いなー」と思ってしまうのは、当方だけだろうか?
Plancast は、単純に「オレこの日にここで呑んでるよー」というだけである。興味があるなら「じゃあオレも行こっかなー」というだけである。その程度のノリなので、実際にその方が来なかったとしても大してショックでもない (ハズ?w)。
また、自分が主催したり幹事ではないイベントやツイオフに参加する際にも、「オレこれ行くよー」というと、「あー、実はオレも行くんだよねー」という感じの、非常に軽いノリのものなのである。
これはいかにも Twitter 的発想で、気軽で良いじゃないか。
というわけで、Plancastは単なる告知、参加者募集サービスではなく、そういう緩いつながりというか、ヒトとヒトの疎結合を広げるライフスタイルを支援するサービスなのである。
というわけで、これを読んだあなたも使ってみてはいかがでしょーか。

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Fri, 28 May 2010 06:35:00 -0700 食卓の醤油壜 http://www.matchy.net/19383382 http://www.matchy.net/19383382
誰か:「オレはきっと早死にするね。トシとってまで生きていたくねーや」
当方:「そうかい?オレはたぶん死なないよ。憎まれっ子世にはばかりまくり」
誰か:「そうか、お前は細く長く生きるんだな」
当方:「いや?俺は太く長く生きるんだよ。最初から細く長くとか、太く短くとか思いこむ必要ないっしょ?」
誰か:「でもそうはいかねーだろ」
当方:「俺様の生命線をみたまえ!」
誰か:「!!!」
 
というのが当方の持ちネタのひとつとしてありましてな。別に手相でなにがどうなどと思っていないけど、まあネタにしやすい生命線が生えているのでw
 
でまあしばらく前までこれやってたんだけど、最近ちっと使う気がなくなってきた。
 
今の世の中で「成功者」とみなされるのは「お金を稼いだヒト」であり「有名になったヒト」である。死後有名になったヒトもいるけど、それは「偉人」であって「成功者」ではない。
 
実は当方は「成功者」になりたいとは正直思わないんだけど、どうやら「そういう人達」と自分は違ったらしいというか、自分はフツーに凡人だったんだなあと自覚する年齢になったということは言えそうである。
 
別に悔しいとかそういうんでなくて、「あ、凡人だったんだオレ」という感じ。
 
そう考えると、あれ?もう半分ぐらい終わってるね。この先どうすんだろうねオレ?と、なんとなく思ってしまうのである。不安なわけではなくて、終着地に立ってる旗が見えてきたかなぁと。諸先輩方に怒られそうだけどw
 
なんでもない、ただ食卓に醤油壜がのっていることと同じぐらい当たり前なんだけどね。
 
あなたのご主人やお父様が、食卓の醤油壜をぼーっと眺めているとき、実はそんなことをなんとなく考えているのかもしれない。
 

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