北斎の妖怪画が松本に!?
信濃毎日新聞の報道によると、長野県松本市の豪商酒井家が江戸期から収集を始めた浮世絵の「酒井コレクション」という約10万点をのコレクションがあり、日本浮世絵博物館という財団法人が管理しているらしい。
そして、このほど好事家の間では(?)周知にもすぎる「百物語」の、北斎の指示によって製作されたと思しき版がそのコレクションから発見されたとのことなのだそうである。
信濃毎日新聞の報道によると、長野県松本市の豪商酒井家が江戸期から収集を始めた浮世絵の「酒井コレクション」という約10万点をのコレクションがあり、日本浮世絵博物館という財団法人が管理しているらしい。
そして、このほど好事家の間では(?)周知にもすぎる「百物語」の、北斎の指示によって製作されたと思しき版がそのコレクションから発見されたとのことなのだそうである。
確かに文句ばかり言って行動をしないジジイはジャマな存在だ。しかし、ジジイになってみると、行動できない、行動しない理由というのがわかってきたりする。まあ、同じ視線をお持ちでない方には何を言っても言い訳に聞こえてしまうであろうから、掘り下げてまで書かないけれど。
日本を代表するロックンロールアイコンであった故・忌野清志郎氏が、若い頃なんかのインタビューでこんなことを答えていた記憶がある。なにせ自分が中学生ぐらいのことなのでうろ覚えではあるのだけれども。先ごろ香川県で、かつてさぬきうどんブームをはじめさまざまなブームの火付け役となったタウン誌「月間タウン情報かがわ」の休刊が発表されたそうである。かのさぬきうどん観光大国香川県ですらそうなのかと驚いた。
実際自分の住む長野県にしても、タウン情報誌というのは難しいのだろうということが容易に想像できる。フリーペーパーに移行したとしても、内容を充実させるよりクーポン券だらけの広告誌としたほうが 製作コストパフォーマンスが良いということになってしまうのだろう。
そんな中、長野市を中心に、ファッション / ビジュアルワークな職業の方々のライフスタイル紹介を積極的に行なっている「日和 (ひより)」というフリーペーパーがある。とてもかっちょいい写真がたくさん掲載されていて、フリーペーパーでこういうことをするのは大変なパワーが必要であろう。僕はそういうシャレオツな方々とは縁も所縁もないものの、勤務先が長野市だったときはまちなかで見かける機会も多く、ついつい手にとっていたものである。
最近は千曲市にすっこんでしまったので、天気が悪くてママチャリ通勤がさすがに厳しくて電車に乗らんというとき、それこそ何ヶ月かに1回ぐらい駅で見かけるだけになっていた。
ところがなんだか最近はPDF化したものとFlash化したものをネットで配布されておられる太っ腹ぶりである。もともとフリーペーパーなんだから太っ腹もなにもあるかという向きもあるかもしれないが、当然これらはゼロコストというわけではないわけで、大変なご苦労であって、せっかく配布されておられるのだからありがたく読ませていただきたいわけで。
とは言っても、上述のとおりワタクシそういう方面には疎いもので、毎号新作が出るたびにサイトに訪問して拝読するというほど熱狂的な読者というわけでもない(すみません)。ある程度自動化して配信をうけられないものかと。
というわけで、PDF版をiPadで勝手に定期購読してしまう方法を以下に解説する。
聞くところによると、最近高校の卒業式で女子は袴を来たりするんだそうだ。先日長野駅前でそういう女の子をみかけて、アレ?いまでもまだこんなの着るんだ?みたいなみょうな違和感があった。いまでもどころか高校生ではここ数年で流行っているそうな...。
小学校の卒業式は、おいらの頃なんぞは中学の制服を着るのが当然であったのだれけども、最近は毎年父兄がもめるらしい。
曰く、「学生服は中学で着るものであり、小学生のうちに着るものではない」
なるほど一理あるようにも思う。では何を着ていくのかというと、そのためだけにスーツやらを新調するらしい。アホくさ。
「学生服は中学で着るものであり、小学生のうちに着るものではないというのなら、小学校で使ってたジャージ着てきゃいいんじゃんねえの?」と言ってやる。
デーモン閣下が大学を卒業するとき、本来の悪魔の姿で出席しようとして、警備員と悶着あったそうだ。なぜその姿で出ようとしたかというと、すべての卒業生は明日から社会に出る格好で出席しているのであって、自分もこの姿で社会に出るのだと。かっこいい。
そんなこんなで卒業シーズンですね。保護してくれるものが少しずつゆるくなっていくことでもあるわけで、自分が次どうやって生きていくのか、ということなのかもしれません。
と、「卒業」からは縁遠くなったオッサンに言われるスジアイねぇか...
食べログサクラ騒動
昨年のお正月にはグルーポンのスカスカおせち騒動というのがあったが、今年は食べログでの悪質なやらせ騒動からはじまった。もう1月も終わろうというのに今更その話題かよと言われるかもしれないが。
これは不正が発覚したので厳正に対処するというハナシである。これを言ったら身も蓋もないかもしれないが、そもそもメディアを使ったプロモーションをするときにはサクラはつきものである。
早いもんで2012年明けてもう半月たっちゃいましたけどね。
昨年はやっぱなんだかんだ言って震災とか原発とか自分にとっていろいろショックだったみたい。それから、やはしスティーブ・ジョブズとか、立川談志とか、リスペクトしていたりそこまででなくてもなんらかの影響を受けていたひとが次々亡くなったというのもショックだった。まあ今年40歳なんで、そういう歳周りというか、自分がトシをとったということなのだろうけれども。
ザ・インタビューズというサイトがあって、ソーシャル界隈でなんかはやってるので、試しに答えてみた。このへん。 なんか、真面目に書きすぎた。読んだヒトどんビキみたいな感じだ。でも、どうやらそういうサービスみたいなのでそれはそれでいいのかもしれない。
特にこのインタビューに答えてみて、思うところがあった→「どんな学生時代でしたか?思い出話などを聞かせてください」
例の一連の騒動で、いちばん理解できないのがこのBlog記事。
【事実に基づく真相 : 高岡蒼甫 本人ブログ】
http://blog.livedoor.jp/tkok_sosk_8228/archives/52293253.html
鬱だったとか自傷行為経験があるとか、それはそれは大変だっただろうけど、それとこれとどういう関係があるんだっつーこと。
病気することは大変だし、治ったのならそれは素晴らしいことだけど、だからってそれがなにかの言い訳になるわけじゃないだろう?
「実は僕は鬱でした」なんて公言するひとが少なからずいるけれど、なにかそれは特別なことだとでも言うのだろうか?そういう言動をとることで、今まさにその病気を治そうとしている人たちが色眼鏡で見られてしまうことにいい加減気がつくべきじゃないだろうか。
特別な病気じゃない。「ビタミンが不足したら風邪をひいた。いちど風邪ひいたら風邪ひきやすい体質になっちゃった」ってこととなにも違わないぞ。
違わないのだから、今、その病気であることも何も問題はないんだ。ただの病気なんだから、治せばいいんだよ。
風邪と同じで、またなってしまうかもしれないけど、また治せばいいんだしね。
例えば◯☓式のアンケートをぽんと渡されて、机の引き出しからペンを取り出してそれにささっと答えて返す。当たり前だけれど、机の引き出しにペンを用意しておく必要があるし、アンケートに答えられる知識なり経験なり見識を持っていなければならない。そして、多くのひとはそのアンケートの設問をつくることができないので、自分が答えるべき設問から自分が考えなければならない。
いつも同じ設問と回答で済む場合もあるし、そうでない場合もある。そのためには、当たり前にできることを増やさなければならない。
仕事って、いやもしかして、「暮らしていく」ということは、そういうことなんじゃないかな?