善光寺の御本尊て本当にあるの?

善光寺

勤務先用に書いたものの一部修正転載です。


台風19号が各地で猛威を振るったようですが、皆様ご無事でしたでしょうか。

どうも今年は自然災害が多いような気がいたしますね。被害に遭われた皆様にはお見舞いを申し上げます。

さて、随分時間がたってしまいましたが、前々回の続き。

来年の平成27年4月5日(日)から5月31日(日)までの日程で善光寺の御開帳と いうビッグイベントが開かれるわけですが、御開帳といってもホントの御本尊は見れなくて、そのレプリカ (といっても鎌倉時代に作られた由緒あるもの) の小指から紐で繋がった回向柱というでっかい柱にさわれる程度。そもそも善光寺の御本尊は、われわれ一般人だけでなく、善光寺のご住職さえも見ることがで きない絶対秘仏だというお話しをさせていただきました。

で、それって、ホントは御本尊なんてないんじゃないの?ないって言ったらエライことだから、あることにしてるんだけど、ホントはないんじゃないの?だから見せられないんでしょ?そら絶対秘仏だわ。

と、これを読んだアナタは思ってしまうのではないかと。え?そんなひねくれたことを思うのはワタシだけですか?

実は江戸時代に、ニセの善光寺御本尊が現れるという騒動があったそうでして。なんだか水戸黄門かウルトラマンみたいですけど。

実は善光寺御本尊は自分が持っており、善光寺には御本尊なんて存在していないんだ!みたいなことを言い出す輩がいたんだそうです。どうせ絶対秘仏で誰にも見れないんだから、言ったもん勝ちだなんて思ったのかもしれません。

で、まあそれはそれで本家善光寺さんとしては困っちゃうわけで。

そんなわけで、1692年、元禄5年 といいますから、赤穂浪士の討ち入りの原因となった江戸城松の廊下の刃傷沙汰の9年前ですな。その12月14日に、比叡山で天台座主をされたことのあるエライお坊さんに、善光寺本堂「瑠璃壇 (るりだん)」にある厨子 (ずし) に収められている御本尊を確認してもらったのだそうです。

で、それはそこにいたと。

開けてはならぬものをせっかく開けたんだからということで、4時間程度開けっ放しにして、大勧進、大本願、寺中の多数の皆さんで中身を目撃したのだそうです。

現在も毎年年末12月28日に「おすす払い」といって善光寺の大掃除が行われるのですが、そのときこの厨子を持ち上げてお掃除をするらしいのですけど、とても中が空っぽなんてことはありえないかなりな重さなんだそうで、やはり御本尊はそこにおわすのでありましょう。

いるならいるで、なんでその後300年以上まったくその中身が公開されないのでしょうか。

御開帳でも公開されない絶対秘仏といえば、東京の浅草寺の観音様もそうだったりします。

こちらは1869年6月といいますから、11月に明治となる直前ですな。明治政府の社寺役を名乗る者どもがやってきて、「天皇の勅命である」とかなんとか言って、無理やり御本尊を御開帳しちゃったことがあるのだそうです。

その際に、両手足がもげてところどころ焦げた跡のある御本尊が確認され、押し入った者どもも拍子抜けしてとっととどこかへ行ってしまったのだとか。

浅草寺の観音様も、善光寺の阿弥陀様も、かなり歴史のあるものなので、それぞれのお寺がたびたび火災になるたびに運びだされて難を逃れてはいるものの、相当損傷していると思われるわけです。

木 造だったらさっさと直しちゃえばいいし、それこそ下手すりゃ燃え尽きちゃったりするんでしょうが、これらは銅製で、鋳造し直す技術のない昔からあるもので すから、修復されることなく代々と痛みながら伝わっているということなのかもしれません。善光寺の御本尊は竜宮城で採れる特別な金でできているというお話 しもあるそうですけどもね。

そんなわけで、善光寺御本尊が絶対秘仏なのは「あるこたあるけど、うっかり開けてマジ壊れしたら困る」。
というところなのでしょう。

さてさて、そんな風に大昔から大事にされてきたと思われる善光寺御本尊、いったいどんだけ古いものなのでしょう。

次回は善光寺御本尊のルーツについてのお話しをさせていただこうかなと。

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