黒い歴史のハナシ

善光寺

こんな話題を興味深く読んだ。

女性の下着を透視するなど楽しいヨガ・サークルだったオウム真理教が「殺戮集団」へと変化した決定的瞬間

女性の下着を透視するのはたぶん「楽しい」のではなく「#metoo案件」ではないかという気もするがまあそこはおいておこう。

ぼくも「オカルトもの」はガキの頃から好きでいろいろ本を読み漁ったりしたものである。特に自分が小学校生の時分はノストラダムスの大予言とか心霊写真ブームとか、オトナの間でも水子供養ブームとか (あれはブームなのである)、某易断の大家については地元大新聞が大大的にバックアップして広告やら冊子やらを封入して各家庭に配っていたものであった。

そういう系の情報をたくさん集めていると、どのハナシも例外なくなんらかの類話であることがわかってくる。おばけや神様、UFOにかかわらずだ。

伝えられるうちに分派・改変していった「物語」であって、世に特別に神秘ななにがあるということはない、ということがわかってくる。よくこういうハナシを「ワタシは信じる〜!あんたはどうなの?」みたいにきいてくるヒトがいるが、信じるとか信じないとかのハナシじゃないのだ。桃太郎の昔話を信じると言っているような、わけのわからんハナシなのだ。

桃太郎のお話がそのお話どおりのことが昔あったと考えるのは無理があるが、そのお話のもとになった別のお話か、もしくはその元になった実際の事件などがあるかもしれない。そういうのを調べたりきいたりするのは知的好奇心を刺激して大変おもしろい。おばけとかのハナシも、つまりそういうハナシの1種類なのである。

むしろ成長してからそういうハナシに触れると耐性がなくて深く信じ込んでしまうなんてことがあるのだろう。学生運動終結後政治思想と無縁だったニホンジンが、近年急激にミギやヒダリにわかれはじめたのもそういうことなのではなかろーか。

たしか高校生のとき、同級生が「ヒヒイロカネ50名プレゼント」なんて書いてある雑誌の「ムー」をガッコウにもってきて、そのフックのあるコトバのパロディ感にオレは大爆笑したのだけれど、持ってきた本人は大層マジメで、うん?と思ったワシは、こういうのはネクロノミコンとか、ナガノのヒトとしてはそんな遠いハナシじゃなくても善光寺本尊の原料の閻浮檀金 (えんぶだごん) とかいろいろあるんだよ、と言ったら、むしろすごい!と感動されてしまって、あれあれ?て思ったことを思い出す。

その子と数人の仲間がいて、その彼らはクラスでものすごく成績の良い見るからに真面目そうな子たちで、あまりに真面目そうすぎて不真面目なぼくはなかなか接点がなかったのだけど、それを縁にその集団に加わってぼくもオカルトばなしをするようになった。しかし、卒業頃にはザイン小島露観の本とかを回し読みしてて、ぼくも借りてみたけれども、さすがにこれはどうなんだろう…と思ったことを思い出した。まあきっと彼らの黒歴史だろう。

なんでもオウム真理教事件の死刑囚がみんな執行されたんだそうで。これで精算されたというか、ミソギがすんだ、ていう感覚にはなるんだろうなあという気がする。ということで、これからまたこういう話題ってよく見かけるようになってくるんだろうなあ、と漠然と思っていたりする。

神秘なハナシとは「信じる」ものではなく「味わう」ものだ、とワタシは思うのだがなあ。

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