善光寺と諏訪の神様

善光寺

勤務先用に書いたものの転載です。


来年4月に迫った善光寺の御開帳ですが、これは数えの7年、実際には6年に1度だけ行われる、とてもめずらしいイベントです。

長野県にはもう1つ、数え7年・実際6年に1度行われるイベントがありまして、しかも決まって善光寺御開帳の次の年に行われます、諏訪大社の御柱祭りというものがあります。

これは諏訪湖の辺り、諏訪大社という神社の「建て御柱」というおおきな天然樹の柱を建て替えるお祭りなのですが、この柱になる木を運んでくる課程がすべてお祭りでして、特に木落し坂という大きな坂から木をすべり落とす際には、その木の上に多くの氏子がまたがって、木と一緒に坂を滑り落ちます。

これが大変な迫力でして、かつてはこれによって亡くなった方が出たりしております。日本を代表する奇祭といわれております。

善光寺の御本尊に関しては前回まででなんとなくわかってきたような気がしますので、ちょっと休憩がてら、諏訪の神様はどんな神様なのか、ちょっとだけ先取りしてみましょう。

年末らしく、諏訪大社のしめ縄のお写真は Flickr より、 puffyjet さんという方が Creative Commons ライセンスで公開されているものを使わせていただきました。オリジナルはこちらです。

その昔、出雲の国はオオクニヌシ (大国主) という神様が世を治めていました。

この神様のご先祖は高天原からやってきたスサノオ (須佐之男) なんですが、スサノオは血だらけの馬の死骸をお姉ちゃんの部屋に投げ込むというバカなことをしでかしまして、お姉ちゃんショックでヒキコモリになってしま うというとんだ騒動をおこして追放されてしまい、出雲に来たのだそうで、えらい荒くれ者だったようなのです。まあやんちゃが過ぎたんですな。

しかし子孫のオオクニヌシさんは、因幡の白兎の説話なんかもありますけど、腕っ節はあんまり強くなく、どちらかというと智慧で勝負みたいなかしこい神様だったと言われているようです。

そんなオオクニヌシのところに、高天原からタケミカヅチ (武御雷) という使者がやってきます。曰く、わるいんだけどさあ、あんたの国、ウチの大将に譲ってくんない?ロハで

え? なにそれウケルww。いや、なんかあんた強そうだね。待て待て、まあそんな睨まないで。いや、まあオレはいいよオレは。オレはいいんだけどさ。ウチの息子 達がなんていうか。あいつらよくわかってなくて、分をわきまえずにあんたらに歯向かったりしたらお互い困るでしょ?いやオレはいいんだけどね。ちょっと悪 いけど、ウチの長男釣りに行ってっからさ、あんた行ってはなしてきてくんない?

……なんとまさかの丸投げです。しかも息子に。
そんなわけでタケミカヅチはオオクニヌシの息子であるコトシロヌシ (事代主) にききに行きます。あんたらの国うちらにくれや。

え?別にいいけど

さすが長男、ぼんやりしているというか、あっさりしています。で、タケミカズチはオオクニヌシのところに戻ってきて、あんたの息子さんいいって言ってるよと。

え?アイツほんとにいいって言ったの?あそう。いや、まあそんならそれでもいいんだけどさ。でもほら次男のほうね、あいつはアニキよりちょっと血の気が多くてさ。次男にもきいてみてくんないかな。いやオレはいいんだよ?

我慢強い (かどうかは知りませんが) タケミカヅチは、弟のタケミナカタ (建御名方) に話をしに行きます。

ああ?あに言ってんだお前?ふざけたこと言ってねぇでオレと相撲で勝負しろコラ

父や兄と違って弟は武闘派だったようです。

そんなわけでタケミカヅチとタケミナカタの相撲勝負となるわけですが、タケミナカタがタケミカヅチの腕を掴むとその腕は氷の剣に変化し、まさかの凶器攻撃!チェーンジ冷熱ハンド!いやそれ反則じゃないの?

あわれタケミナカタは片腕切断の大怪我を負いまして、ほうほうのていで現在の諏訪まで逃げ延び、諏訪の神様となるわけです。

それにしてもここまでタケミカヅチを怒らせた原因は、ある程度オヤジの煮え切らない態度にあったのかもしれませんが、それはその場にいなかった者の知る由ではありません。

そんなわけで、外国から来た神様が、もとからその地にいた神様に武力行使し、実権を奪った。という図式になるわけですが、その実本当は神様がどうこういうよりは、統治者たちの権力争いを神話として描いたものなのかもしれませんねってあれれ?最近どこかで似たようなお話しを聞きませんでしたっけ??

善光寺御本尊が受難した仏教戦争と、諏訪の神様のお話しが奇妙に似通っていますね。まあよくあるお話しなのかもしれませんけどね。

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