特別な日がいちばん困る

雑感

特別なときや日みたいなのはあんまり考えたくないのである。

ならその特別でない日はどうなのか、ということになる。価値がないのか。
むしろいつもが特別であると考えたい。

と、なにを言っているのかというと、新年だからといってなにか特別にどうこうするとか、できればやめておきたいのである。めんどうくさいので。ああ、めんどうくさいのが本音だけれども

できることなら毎日を楽しく暮らしたいわけで、例えば「毎日ラジオ体操をしよう」とか「毎日本を読もう」などと、子どもの頃はガッコの先生なんかに言われて「なんでそんなことせにゃならんのだ」と思ったものだけれど、いいトシのおっさんになると、ああ、それってなんか楽しそうだぞ、と思う。

思うけれども本当に毎日それを行うのは大変むずかしい。3日坊主で終わってしまったり、なんとか1週間の平日は継続したとしても、休暇の前夜に酒を飲みすぎて翌日寝坊してダメになったりする。おとななので。

むしろそういう「特別な日」によってせっかくの毎日がダメになるのだ。言い過ぎかもしれないけれど。

いちばん問題なのは、そうやって「ダメになった日」に、ああーもうダメだーせっかく続けたのにーもうヤメヤメってなることである。

これはきっと「やめる口実」を自分が無意識に探していたんだな、ということだったりする。

別にラジオ体操や読書がとてつもなく素晴らしいので継続すべきだ、というわけじゃなくて、ちゃんと毎日楽しく暮らそう、ていうのも、実はそのように継続的に思って暮らしていくのは忘れがちだと思う。

なので、子どもの頃は「ケッ」などと思っていた、毎日継続すること、というのは、おっさんになった今は「なるべくやったほうがいいな」などと思うようになった。

というわけで、いったんダメになったとしても、そこでくじけずにまたやり直すことを覚えていきたいな、と思うのであった。特別ななにかに引っ張られないように

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