勤務先用に書いたものの一部修正転載です。
長野市立博物館で、7月19日(土)~8月31日(日)の日程で「おばけ展~新信州七ふしぎ~」という企画展がおこなわれています。
夏はおばけ!というのもあるでしょうし、ここんところ「妖怪ウォッチ」というのが流行っているみたいなので、大変タイムリーな企画ですね。妖怪ウォッチグッズも売ってましたよ(笑)。
2016年の大河ドラマが「真田丸」ということで、真田幸村が主役なんだそうですけど、その真田家の歴史的ないろいろなものが展示されている、真田宝物館に所蔵された百鬼夜行図絵をはじめとした信州各地につたわるおばけ・妖怪の絵画の展示や、市立博物館独自にあらたな信州の七不思議を定義した。という企画です。
幕末に葛飾北斎を小布施に招いたことで知られる高井鴻山というひとは、狩野派など一般的にみられるどの妖怪画とはまったく異なる独特の妖怪画を描いたひとでもありました。
また、「ゲゲゲの鬼太郎」原作マンガのあるシリーズでは、鬼太郎が長野市の妖怪「ヤカンズル」(薬缶吊る) に負けてしまうという衝撃的な最終回を迎えたこともあったようです。
そんなこんなで、「信州と妖怪」というのは、新旧を問わず意外におもしろい話があったりします。
おばけ・妖怪というのは、実は本来オカルト的なこととは正反対のものです。
「こわいもの」というのは、なんだかよくわからないもののことです。人間が死ぬのがこわいのは、死んだらどうなるのかよくわからないからです。
「そこに人なんていないはずなのに人の気配がした」とか「なにもいないはずなのに物音がした」なんてことがあると、誰だってこわいですよね。
でも、そういったよくわからないものに「名前をつけて」「形を与えて」「キャラクター化する」ことによって、例えば「ああ、それは家鳴 (やなり) という妖怪だよ」などとして無理やり理解すると「なんだかわからない」ものではなくなり、たいしてこわくなくなってしまいます。
こわいものをこわくなくすのが妖怪なのですから、こわさを煽るオカルトとは正反対のものです。
おばけ・妖怪を知るということは、人間が生きていく上でなんだかわからないものや納得の行かない不条理をどう理解し、克服してきたのか。また、どのように物語を紡いできたのかを知ることでしょう。
そしてそれは、本来ないものからなにがしかがあることにするということなのであって、作家が小説を書いたり、プログラマーがソフトウェアを作ったり、起業家が新しいサービスをつくるのとおなじようなことです。
おばけ・妖怪とは、死者の怨念がどうのこうのなどという辛気臭いものではなく、妖怪ウォッチやポケモンのように、子どもが喜ぶキャラクターであり、そんなものにいいトシをこいた大人がうつつをぬかすのがもともと本来あるべき姿であると言えましょう。
能書きが多くなりましたが、おばけは好きだけどオカルトは嫌いなワタクシ (まちだ) も市立博物館の企画展を拝見してきたのですが、「あれっ!?」と気になることがいくつかありました。
……が、長くなりましたので、続きはまたの機会に。今回は前振りまでということにさせていただきとう存じます。
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