マスコミなんて信じられない


マスコミの情報は信用できない?
OKOK、オレも信用できないと思う。

まずもって情報が遅い。 たぶん、得た情報を発信するまでにそれがまったく根も葉もないことではないという裏付けをとったり、その方面に詳しくない人にもわかるように噛み砕いたりしてるんだと思う。

さらに、その情報を発信して利益を得たり不利益を被ったりするひとは誰なのか、影響範囲を調査して「配慮」したりもするんだろう。

だから情報が遅いし、必ずしも事実ばかりではない。悪意のあるなしではない。むしろ、善意の結果だろう。そう、もちろんこれは僕の想像だ。だからこそ余計に信用できない。まったく困ったものである。責任者に問いただす必要がある。責任者はどこか。

そして、そういった検証や事後の影響への配慮をしていない個人の口コミや規模の小さい組織の情報を信用するのはもっと難しい。それをしているであろうと予想される情報を信じないのに、それをしていないであろう情報を信用するのは無理がある。そのひととの付き合いの親密度や人柄の良し悪しは関係ない。

間違いというのは起こり得るのであって、起こり得るはずがないでは原発事故のようなハナシだ。検証される機会の少ない個人の口コミは個人の情緒的というか感情的見解であり、客観的評価ではない。また、情報ソース自らが発信している情報はやはり客観的とは言いがたい。編集されていない生放送が事実だとしたら、それこそテレビのほうが生放送はたくさんやっている。

「どこそこの店の食い物がうまい」などというハナシは主観どころか感情的意見にほかならない。

その相手が親密で信用できる相手ならばこそ、「あなたを信じたらこんなハメになった」などと間抜けなことを言うのは失礼であり、そのひとのハナシをもとに自分が判断をしなければなるまい。

さらに言うと、事実とは人によって違うのである。

長野オリンピックの閉会式のとき、テレビではどすどす花火があがっていたけれども、我が家では外から花火の音が聞こえず、不思議に思ったものだ。当時その近くの川中島古戦場で毎年花火大会がひらかれていて、我が家からもうるさいぐらいに音が聞こえていた。そこからオリンピック開閉会式場はさほど離れていないにもかかわらず、花火の音が聞こえなかった。それは僕にとっての事実だ。

もちろん、では花火は上がっていなかったのかといったらそんなことはなく、そのとき現場近くにいた人から連続で打ち上げられるスターマインの音が腹に響いたというはなしもきいた。それはその人にとっての事実であろう。

それではなぜウチには聞こえなかったのかということにはなんらかの理由があるのだろうし、大変興味深いけれども未だにその理由は僕にはわからない。それを知っている人にはまた違う事実があるのかもしれない。

いずれにせよ、自分が見えていることや自分にとっての事実が必ずしも他のひとの事実ではないということだ。

マスコミの情報を信用しないということは、つまりなにも信用しないということであって、自分が考えるしかないということである。

信用できるのは、与えられた情報をもとに、自分がどう考えたかというその1点のみに集約される。

子供の頃、太平洋戦争は軍部や政府によって行われ、民衆は戦争を望んでいなかったということを教育された。しかし、それは嘘だということが今ならわかる。本当は世間の大衆が望んだのだ。それが正しかったのか、間違っていたのかは、あとづけならいろいろと言うことはできるけれども、その時は避けられない多数意見だったのだろう。

自分の言っていることは、誰かの意見をまるごとコピー・ペーストしたものではないと、自信をもって言えるだろうか?

マスコミは信じない。マスコミを信じないということは、なにも信じないということだ。


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