大人の言うことを信用しないお爺ちゃんのはなし


先日、ある有名なジャーナリストの方がゲスト出演されたラジオ番組の Podcast を聴いた。当方があまりTVをみなくなったせいもあって久々にお声をお聴きしたのだけれども、まあなんというかずいぶんとお爺ちゃんになられたなぁという印象を持ってしまった。失礼。

で、こんなようなことをおっしゃられていた(要約)。

子供の頃、学校で「欧米は戦略戦争をしておる。悪いのはイギリス、フランス、アメリカであり、アジア諸国を開放し、護るために日本は戦争しているんだ」と教えられた。しかし終戦後、同じ先生が「今まで日本がしてきたことは侵略戦争だった。悪いことだった」と言い出した。

信頼できないというよりは、困惑した。それが原点である。

今でも新聞やTVの言っていることは正しいとは限らない。少しでも信頼できる情報に触れ、発信するために自分はジャーナリストを続けている。

とても素晴らしいことをおっしゃられているのだろうけど、なんか引っかかるものを感じた。もう結構なお爺ちゃんになられた方だけれども、今でも「大人の言うことは信用できない」と言っている子供のようだなあと。いや、それが良いのか悪いのかはよくわからないけれど。

別の話。「子供ができてはじめて親の気持ちがわかる」ということをよく言う。不肖ワタクシですらそう思うことあるし。

「若い頃は特に知らない人が困っていてもそれほど具体的にどうこうとは思わなかったが、人の親になってはじめて親身になることができた」という話もきく。本当なんだろうか?

「相手の気持ちになって考える」というのはとても大事なことだろう。しかし、相手と完全に同じ境遇でない以上、相手の気持ちを理解することは不可能なのも事実。それを踏まえた上で相手と接したり、必要ならば援助したりということも大事だと思う。「相手の気持ちはわからない」と思っている子供、「子供ができて人の痛みが云々」と言っている大人、どちらがその距離と近いのだろうか?いやこれは単純に疑問。

「親の気持ちがわかるようになった、親になった自分」が正しくて、「親の気持ちがわからない、親ではない子供」は正しくない、というのもよくわからないはなしである。

子供が親の気持ちをわからないのは当然だし、子供でなくなった親が子供の気持ちをわからなくなっているのかもしれないし。つまりは「相手の気持ち・立場を想像する」「相手に感情移入する」ということがお互いに大事なのではないかと思う。そのためには多くの物語に触れるというのが大事なことになるのではないかと思う。これは余録。

話を戻す。

「日本は正義の戦争をしている」と言っていた先生が「日本は悪いことをしていた」と、言うことが正反対に変わった。それで、困惑したと。まあ困惑はするだろうけれども、その話をきく子供は先生以外に親やその他の大人、そしてなにより世の中が大きく変わった瞬間を体感したのではないか。であれば、先生の言うことが変わったことに理由があること、先生の考えが変わり、それを表明しているのだということに気がつくのではないだろうか。もちろん、低年齢の子は理解するのは難しいかもしれないけれど、「なにか事情があったらしい」と察することはできるではないか。

結構なお爺ちゃんになってもまだ「大人の言うことは信用できない」と言っているように見えるその方は、とにかく間違ったことを言ってはいけない、発言に極単純な一貫性がないと許さない、そう言っているような、ちょっと怖いなぁという印象を持ってしまった。

情報を受け手が処理できない、だから間違った情報は流してはいけない、そんな、不寛容な世界はいやだなあと、薄気味悪く思ってしまった次第。あれ?い、いや、まだそんな社会になっては….??


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